タージ・マハル

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悠久の大地インド、まるで時間が止まったかのような国。
仏教、ヒンズー教、他にも多くの宗教と文化が混在する地。
なかでもヒンズー教は2500年以上もの歴史を持ち国民
の8割が信奉していると言われる。
だが、アッラーの神で知られるイスラムはヒンズーではな
かった。
そして、インドを代表する建築物のひとつ、タージ・マハル
もまたイスラムの遺産だったのだ。
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均整のとれた美しさでそびえ建つタージ・マハル、その白い
輝きは時の流れという現実にも朽ちることなく不動の輝きを
保ち続けている。
この巨大な建物はすべてインド北部で切り出された良質な白
大理石で作られている。
これを作り上げるために二万人もの技術者や鉱夫がアジア全
域から集められ20年余りの歳月がついやされた。
建物全体の美しさをさらに盛り上げている幾何学的な対称性。
対称性を重んじる美意識はイスラム独特のものである。
幅、高さともにおよそ60メートルのタージ・マハルは東西
南北どこから眺めても全く同じ形に見えるように設計されて
いる。
四隅に建つ高さ42メートルの尖塔が外観をさらに引き締めて
いる。
直径30メートルにも及ぶ巨大なドームはタージマハルに柔ら
かな曲線美を与える。
こうしたドームはイスラムが得意とし発展させた構造である。
積み上げられた白大理石はこのドームだけで一万トン以上の量
になる。
壁面を印象的に飾るアーチ。
煉瓦や石を積み上げて建築物を造るイスラムにとってアーチの
構造は欠くことのできないものであった。
柱や梁を用いずにアーチで建物全体を支える工夫、そして、そ
れによってできた大きな入り口や窓。
アーチの技法は イスラム的様式としてインドに根付いたのです。
建物をさらに子細に見るとイスラム特有の装飾美術の粋が集め
られている。
白に彩りを添えているこまてな装飾、これは全て色鮮やかな石
を大理石に埋め込んだ物で、水晶、めのう、トルコ石、るりな
どが使われている。
こうした象眼細工の技法はイスラムの人々によってはじめてイ
ンドにもたらされた装飾技法です。
この装飾のためにさまざまな石が中国、ロシア、アラビア、ス
リランカなどアジア全域から取り寄せらた。
ヒンズーの国インドにまったく異質の文化をもたらしたイスラ
ムはどのようにしてこれほどの遺産を残すにいたったのだろう
か。
時をさかのぼって時代は16世紀、デリーから南東へ200キ
ロの地アグラ。そこに周囲2キロに渡り高さ20メートルの城
壁が張り巡らされたアグラ城をその象徴とするイスラム最強の
王朝ムガル帝国が存在していた。
インドの遙か西のアラビア半島で7世紀に起こったイスラムは、
またたくうちにその勢力を拡大する。
ヒンズーの壁で守られていたインドもまた例外ではなく、50
0年の時間をかけてイスラムはその存在をインドへと浸透させ
ていった。
ヒンズー教の国インドでイスラムはムガル帝国を作り、その絶
頂期にはインド・亜大陸の大半を征服しイスラム文化を開花さ
せた。
時の皇帝の名は第五代皇帝シャージャハーンと呼ばれていた。
つづく、、、、。 2002/5/2
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ムガル帝国がその勢力を広げ、その栄華を極めたとき、時の皇帝
シャージャハーンがイスラムの文化を結集して築いたのがタージ
・マハルだった。
タージ・マハル内部に広がる空間に、中心を取り囲むように置か
れた大理石のついたてが二十枚程もある。
幅1メートル、高さ1.5メートル程の白大理石でできたそれは、
細かい草花の模様が連続した透かし彫りで仕上げられ、静かに置
かれた長方形の箱を守るように佇(たたず)んでいる。
この長方形の箱は、しかし、これは墓石なのだ。
タージ・マハル、、、、。
それはこのただひとつの墓の為に作られた壮大な墓廟(ぼびょう)であった。
ムガル帝国第五代皇帝シャージャハーン。
その皇帝が作り上げた、世界で最も豪華と言われる墓廟(ぼびょう)。
だがそれは彼の為のものではなかった。
勇敢な軍人として帝国の勢力拡大に尽くし、その絶頂期を築いたシャ
ージャハーンが一番大切にしたもの。
それは后(きさき)だった。
その后(きさき)アルチュマンド・バーヌー・ベーガム。
皇帝の寵愛を一身に受けた后(きさき)は戦場にも同行したが、戦地
で彼女は十四人目の子供を産むとあっけなく息を引き取った。
36歳の若さであった。
美しく装飾されたこの墓石はまさに皇帝の宝であった后(きさき)の
為のものであった。
墓石に刻まれたアラビア文字の碑文にはムグターズマハルという称号
が書き込まれている。
ムグターズマハル、それは王宮の女性の中で選ばれた者にだけ与えら
れる名誉ある称号。
そしてそれはインド風の発音によってタージ・マハルと呼ばれた。
イスラムの栄華の象徴としてインドにそびえるタージマハル、それは
皇帝と后(きさき)の間の深い愛情が生み出した巨大なる墓廟(ぼび
ょう)であったのだ。
つづく、、、、、。 2002/5/4
タージ・マハルにはその入り口に楼門がそびえている。白い大理石で
出来たタージ・マハルと対照的に赤い砂岩で作られた、その高さ30
メートルにも及ぶ巨大な楼門はタージ・マハル全体を引き締めるかの
様に存在している。
楼門を構成するアーチには黒大理石を使ってイスラムの聖典コーラン
が刻まれている。
その一節には、
「天国を見たければこの門をくぐりなさい。」
と謳(うた)われている。
楼門と墓廟(ぼびょう)の間に広がる300メートル四方に渡る庭園。
墓廟(ぼびょう)の周りを埋め尽くす浮き彫りのレリーフは楽園に咲
き乱れる花々がイメージされている。
庭園の芝生に見られる星形の装飾、敷石にも見ることが出来る星形。
八角形の柱にもまた波形の象眼(ぞうがん)を施し星形に見えるよ
うに工夫している。
草花を刻んだ装飾、星形などの幾何学模様、そしてコーランの主文を
刻んだアラビア文字。
偶像崇拝が禁じられたイスラムの世界では建物の装飾に、神や人物の
彫刻、絵画を描くことはない。
天国を象徴している星形や美しい花々が、イスラムにとって重要な装
飾であったのだ。
庭園にしつらえられた豊かな水と豊かな緑は、砂漠の民イスラムにと
っては天国を意味していた。
タージマハルにはこうしたイスラム独特の信仰の形によって、そこに
天国を作り出し、最愛の后(きさき)をいざないたいという皇帝の願
いがこめられていた。
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タージマハルの中心線を真っ直ぐにたどるとそこに后の墓石がある。
それはタージマハルの全てがこの墓を中心に作られていることを示
しているが、この墓の脇に添えられるかの様に置かれたもうひとつ
の墓にも、別の物語が秘められていた。
皇帝在位31年のうち22年と言う歳月をタージマハルの建設にか
けたシャージャハーン、彼はその完成後まもなく皇帝の座を追われ
てしまう。
皇帝と、後の后(きさき)クヌターズマハルとの間に生まれた息子
が王位継承をめぐって皇帝を幽閉へと追い込んだ。
その息子はヒンズーを徹底的に弾圧しようとする政策の持ち主であ
った。
息子によって皇帝はタージマハルの西に位置するアグラ城に幽閉さ
れ、74歳の生涯を閉じるまで人生最後の9年間をここで暮らすこ
とになる。
父を幽閉し次期皇帝の座についた息子はその後、徹底したヒンズー
教の抑圧とイスラム優先の政策を実行した。
最愛の后(きさき)アルチュマンド・バーヌー・ベーガムをその死
後30年経っても忘れることのできなかったシャージャハーン。
タージ・マハルを彼方に見ることができる幽閉先アグラ城に在って、
亡き妻を偲びながら余生を終えることが出来たのは、せめてもの救
いだったのかもしれない。
幽閉先で息を引き取ったシャージャハーンの亡骸は后(きさき)の
ために作ったタージマハルへと葬られた。
脇に置かれた墓石、これは皇帝シャージャハーン自身のものなのだ
った。
こうして皇帝とその后は永遠によりそう結果となった。
その後、イスラムにはヒンズーの壁が大きく立ちはだかることにな
る。ヒンズーの抑圧という力ずくの政策の結果、ムガル帝国は衰退
の一途をたどり、やがて19世紀には滅亡するに至った。
イスラムはついにヒンズーの壁を乗り越えることができなかった。
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帝国の残したタージマハル、その美しさに惹かれて今もインド各地、
そして世界中から毎日一万人以上の人々が訪れている。
満月の夜を迎えるとタージマハルは最も美しい姿を現す。
イスラムの故郷アラビア。
そこは月光の中に砂漠が白く浮かび上がる世界。
彼らの故郷の情景を再現するかのごとくタージマハルの白大理石は
今宵も闇に浮かび上がる。
皇帝が白亜にこめた演出、それは愛する后(きさき)をイスラムの
故郷へといざなう為のものだったのかもしれません。
完 2002/5/5
(参考:美の回廊インド タージ・マハルより)