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『カレー』の語源
カレーの言葉のおおもとはやはり、インドでしょう。 しかし、インドには、カレーという名の料理はないのです。 インドの料理は、スパイスのところでも述べたようにカレー粉を使うのではなく、 必要なスパイスを組み合わせて使うのです。 『カレー』はインドの伝統的混合香辛料(マサラ)をカバーする総称名で、そういった 意味からいえば、『インド料理=カレー料理』と言うことができます。 18世紀、西洋人がインド料理の中で、汁っぽいものを『CURRY』と呼んだのですが、 それでは、『CURRY』とはなんなのか。 タミール語で『ソース』=『Kari』(カリ)を意味するカリ、 ヒンディー語で『おいしいもの』=『turcarri』(ターカリ)から来たという説、 ヒンドゥー寺院の碑文にかかれた、 『野菜ごはん』=『Kari-amudu』(カリ、アムドゥ)によるという説など、 諸説に分かれます。
どうして日本のカレーは、本場インドのカレーと違うの?
昔ヨーロッパでは、肉を主食としていた。そのため、胡椒、シナモン、ナツメグ といった香辛料は防腐、殺菌の為にもかかせないものであった。 多くの冒険家たち、コロンブス、マゼラン、バスコダガマなどがインドや東南ア ジアを目指した。 それはやがて、スパイスロードと呼ばれるヨーロッパとアジアを結ぶ海上交通路 の出現につながる。 イギリスは1600年、インドに東インド会社を作り植民地支配を始める。 18世紀、当時のインド提督、ウォレン ヘイスティング(1732〜1818)が本国 イギリスに二つのものを伝えた。ひとつは混合香辛料ガラムマサラでありもう一 つは細長いインディカ米であった。 1772年カレーはイギリスに上陸したのです。 カレー(curry)の言葉が実は英名であるのは、このへん の事情によるのである。
小麦粉を使ったルー
イギリスでカレーは、小麦粉を油脂でいためたルーを使う煮込み料理となり大ブ ームを巻き起こした。やがて世界最初のカレー粉がエドモンドクロス、トーマス ブラックウェルの二人による、C&B社(イギリス:クロス&ブラックウェル社) から発売され一般化した。さらにカレーはフランスにも伝わり、食の都パリのシ ェフ達によって、欧風カレーへと洗練されていった。 そういった経緯があるために、明治維新後日本へ伝えられたカレーが、小麦粉と カレー粉を使ってつくられ、本場インドの混合スパイスを使った、煮込まないカ レーとはまったく違うものになっているのである。
最初のカレーは高級洋食一番最初のカレーは、明治5年(1872年)刊行された『西洋料理指南』にかかれたもの であろう。 その材料は、 葱1本 生姜半個 ニンニク少々 バター大さじ1杯 水270cc とり、海老、鯛、かき、赤蛙、 カレー粉小さじ1杯、 小麦粉大さじ2杯とある。 今とは随分違うようである。 しかしながら、この本をきっかけとしてカレーは急速に料理人達に知られることに なった。その当時は、文明開花のかけ声のもと、生活様式の全てを西洋文化にしよ うとする時代であった。当然のことながら食生活にもその影響は及び西洋料理ブー ムが巻起こった。しかしながら、当時の人々には、ナイフやフォークなどを使わな ければならない、カツレツ、コロッケなどはどうしても敬遠されがちであった。そ の点カレーはスプーンを使うだけなので、一般庶民には受け入れられやすかった。 そして、ごはんに何かをかける、という昔からの丼にもにたカレーは、江戸時代末 期の混乱から西洋文化を取り入れ復興をはかる明治初期の人々にライスカレーの名 称で広まりはじめた。
国産カレー粉 明治に入ってきたカレーもだんだんと知られるようになっていくのであるが、 それは独自のカレー粉を作ろうとする動きにつながっていく。 しかしながら戦前、戦後を通しての一貫した記録は戦争などで失われ、はっき りとした記録の残されているのは、大正時代にはいってからとなる。 明治36年大阪の『今村弥』(現ハチ食品)から日本で始めてのカレー粉、 『蜂カレー』が発売された。 明治40年、東京早稲田にある、三朝庵という蕎麦屋がカレー南蛮をはじめる。 (当時の洋食屋のライスカレーに対抗するためにはじめたものであるが、ここ でまたカレーは日本独自の発展を見せ始める。) 明治は45年7月29日で終わり、翌7月30日から大正元年となる。 ちなみに西暦でいうと大正時代は1912年7月30日からである。 大正期にはいるとカレーは普段われわれが食べているものに近く成ってきて いる。 大正3年(1914)には大阪の『弘木屋』が創業され『メタルカレー』が売り出さ れた。 『しかし、大正初期の日本ではカレーに必要な香辛料はほとんどなく、カレー初 期のパイオニア達は大阪の道修町(どしょうまち)で薬種問屋に行き、香辛料と 共通の漢方薬や生薬をまぜあわせて輸入物のカレーに似せて作ることから始めな ければならなかった。』 やがて薬種問屋がカレーに興味をもち始める。 そうこうしているとき、食文化という点からみて、一大転機となる事件が起きる。 関東をマグニチュード7.9の大地震が襲った。(関東大震災:大正12年) 関東大震災は、多大の被害をもたらしたが、当然多くの飲食店も壊滅的な打撃を 受けた。 しかしそこには新しいものが生まれた。翌年よりのめざましい復興期にできた飲 食店は、それまでの畳敷きのものとは違い、腰掛けイスの洋食店であった。そして これらの店のメインメニューになったのが当時としての洋食、ライスカレーであった。 大正12年(1923年)は、日本のカレー史にとっては、草分け的存在であるメーカー があいついで誕生し、重要な発展の年となる。 この年、山崎峰次郎(現S&B食品創業者)が国産で最初のカレー粉(明確な記録 のあるものとしては、もっとも古い)の製造に成功し、同時に日賀志屋を創業、カレ ー粉の販売をはじめる。 同じく同年、薬種香辛料問屋で今のハウス食品の前身、浦上商店が『ホームカレー』 の本舗、程田市松から権利を譲り受けて、香辛料メーカーとして『ホームカレー』を 京阪神、中、四国に売り出した。(翌年『ハウスカレー』と改名) そののち大正15年には日賀志屋が、『孔雀』印のブランドでカレーを売り出し、昭 和5年になって『孔雀』の商標はやめて、普通品には『ヒドリ』、高級品には『サンバ ード』という名を使った。 このサンバード(Sun Bird)が、のちの『S&B』食品の頭文字エスビーである。 このほかにも、キンケイ食品の『ギンザカレー』、ノーベル商会の『スーイトカレー』、 大崎屋商店の『リスカレー』などのブランドが大正末から昭和にかけ出揃い、国産カレ ーの時代となった。 ちなみに大正時代は、1926年、大正15年12月24日までである。
C&Bカレー事件 昭和6年、イギリスのC&Bカレーが既成の混合香辛料(カレー粉)としては、日本国内で は最も多く使われていたのであるが、その販売価格が同社の通常の価格に比べてあまりに も安かったのでC&B代理店で調査をしたところ、出回っていた商品の相当数が偽物である ことが判明した。 この偽造品はS&Bや他の国産カレー粉を偽造容器につめかえたもので、イギリス大使館 から日本政府に抗議が出て刑事事件となり、業界人40余名が引っぱられ、結局、偽造者だ けが厳罰に処せられた。 ところが、いままでだまされて偽物を買わされてはいたものの、国産カレー粉がもはや C&Bカレーに負けないだけの品質に達していることを知った人々は、C&B側の強硬な態度も あって反発し、C&Bカレー粉の不買運動までが起きてしまった。 結果としてかえって国産カレーの販売量は増え、カレー粉全体の消費量も上がったのであ った。
福神漬 福神漬は、明治19年に考案された。 東京の池之端の『酒悦』の主人が7種類の材料で『七福神』をひねって、 『福神漬』となずけたらしい。醤油とみりんを使って作った一種の醤油漬 けで、はじめは東京名物となり、その後日清戦争で軍用食となり全国に広 まった。
インドのカレーはなぜ辛い!! 熱帯、あるいは亜熱帯にあるインドでは、酷暑のため食欲は減退しがちであるので、どう しても香辛料などを使って食欲をそそらなければならない。 特に辛みのスパイスは、食欲増進とともに胃腸の働きを促す。 だから食べているときは辛味のために暑くとも、発汗作用のおかげで体温調節ができるの で、食後はむしろ涼しいというわけだ。 ところで、辛さの代表のようにいわれるチリペッパー はカレーにはかかせないが、これ は実はコロンブスが15世紀末、アメリカ大陸で見つけた香辛料で、16世紀になってポルト ガル人がインドへ伝えたのである。
インドにある『カレーの木』の実を挽いてカレー粉を作る???
南アジアには、『カレーの木』があってその葉はハーブとして使われ、その 粉末は南インドでは料理に使う。 カレー粉とは違いジンジャー(さんしょ)の仲間だそうです。 甘く香ばしい香りがあります。
(投稿コーナー)
先日、読者の方からメールを頂きました。貴重な画像とともにカレーリーフ について教えていただきましたのでご本人の了解の上読者投稿として 掲載させていただくことにしました。M.Nさんありがとうございます。実を付けたカレーリーフプラントです。
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南アジアには、『カレーの木』があってその葉はハーブとして使われ
南インドでは生葉以外使いません。 カレー粉の定義はさて置き、ジンジャーはしょうがのことです。 甘く香ばしい香りはしません。(日本の)カレーの香りもしません。 (画像、文章はM.Nさん提供のものです。) |
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