インド旅行記 (シリアスver.)

1 プロローグ:旅立ち

俺の名前はアルバートダイナルート

親しい友達は俺のことを『アダ』と呼ぶ。


さして若くはないが、人間生きてきた年数と人生の密度は必ずしも一致

しないというのが持論なので、この際年齢は不詳にしておこう。


どちらにしても使い古しの中年であることはほぼ、まちがいないところだ。


今いるのは日本上空。高度は3000メートルくらいだろうか、

神戸あたりを飛んでいるのだろう、よく澄んだ空の上から見下ろす窓の

下に見える景色がいつも見なれた本四架橋のひとつ明石ルートである

ことはすぐにわかった。


                             (高度が高過ぎですね。


乗り込んでいる飛行機は『A QUeen of sky 』と、高らかに謳っている

はいるが、よりにもよって『エア インディア』だ。


ご存知の方も多いとは思うが日本航空や全日空などに乗りなれた身に

は少々この飛行機は辛い。

国どうしの経済格差に加えてサービス精神においては日本人は他国の

比ではないからだ。


あたりを見回すと、やけに薄ら寒い機内ではそこここで毛布のお世話

になっている奴らが多い。

なけなしの金をはたいてくることになったからしょうがないとはいえ

インド航空のエコノミーは半端じゃない。


狭くて汚い国際線の中、心の中で悪態をつきながら俺はエコノミーの

機内サービスに出される少し振れば泡立ちそうな安けないウイスキー

をあおり続けた。


せめてもの救いは結構彫りの深い、インド美人のスチュワーデスがいることだが、

これも残念ながら愛想のなさでは世界一だろう。

いったいこの飛行機のどこが 『空の女王』なんだろうか。

                                    

                                   インド美人!?

 

相変わらず無愛想な表情で客の様子ひとつ伺わずに通り過ぎようとするス

チュワーデスを無理やりに堰きとめるようにして 『THIS ONE』 と、

知りうる限りのジャパニーズイングリッシュを駆使してウイスキーのグラ

スを差し出す。


少しくらいは微笑んでもらえるだろうかというわずかな期待は見事に裏切ら

れ、凍りついた表情のまま、まばたきもせずにスチュワーデスはうなずいた。


『まあいいさ』

上っ面だけでにこやかにされるよりもかえってこんな扱いの方が

俺の性分には合っているというもんだ。


慇懃無礼な日本の高級ホテルの、サービス精神のかけらもないお世辞いっぱ

いの薄ら寒いもてなしよりもずっと気が楽でいい。そう思い直して、堅く窮

屈なシートに俺はなんの気がねもなくもたれ直した。



それにしても、、、、


抜け出そうにも抜け出せない時には、あれほど嫌悪と逃避の対象でしかなかっ

たはずの猥雑な都会が、機上の人となったその途端にもう懐かしさがこみ上げ

てきてしまうのは一体どういうわけだ。


機内の気圧のせいもあるのだろうか、少し酔いの回った頭に不満とも愚痴とも

つかない考えがとめどもなく次から次へとあふれでてくる。


まあ『こんな貧乏旅行でも』、、、、と俺は思った。

旅には違いない。 楽しくやるに越したことはないさ。


そんなことを堂堂巡りのように思い返していたが、突然、船酔いに似た感覚

を感じあわてて窓に目をやった。

酒のせいでふらつきはじめた目線の先では、傾き始めた太陽の照り返しを浴び

た銀色に輝く翼が『猥雑な記憶』を捨て去るかの様に飛行機雲を噴出し、

機体はさらなる上昇を始めていた。



日本を飛び立ってからまだ数時間しか過ぎていないというのに、

日常から一刻も早く解放され旅の気分に浸りたいという気持ち

が強かった俺は、煽りすぎたウイスキーのせいですでに酔いが

まわり、うとうとと寝てしまっていた。


気流のせいか、不規則でかすかな揺れを感じて気がつくとどう

やらトランジットのための香港国際空港に到着間際のようで、

ちょうど九州の長崎空港に近づいて下降して行く時に見える様

な点在する島々が眼下に広がり始めていた。


遙か上空から眺めている時にはよくわからなかったが,機が高

度を下げていくにつれ、やはり日本の見慣れた景色とはどこか

違い、小高い丘のあちらこちらに林立するマンション群が見

える。


戦後すぐに生まれ育った俺たちの世代にとっては香港はその情熱的とも

いえる経済活動とは裏腹に、都市自体はどちらかというと猥雑で、日本

よりもずっと遅れているといった先入観が強かったのだが、今こうして

機上から見える巨大な高層マンション群があちらこちらに林立するのを

目の当たりにしていると隔世の感がある。

そしてそれはとりもなおさず自分が時代の流れに取り残され経済戦士(

この言葉すら古めかしい言い回しになってしまっているのだが)

としての頂点を過ぎ去ってしまっている事を意味しているのだった。



わずかな振動をともないながら、一定のリズムで下降を続ける機内に、

いつものように軽い警告音が鳴り、続けてインドなまりの英語でまも

なく着陸が近いという機内アナウンスが流れると、氷の顔を持つスチ

ュワーデスの表情にもかすかな安堵の微笑みが浮かび緊張がほぐれて

いくのが見て取れた。


 

  香港空港着陸直前


腕のいいパイロットだったのだろう、わずかな振動以外なにも感じさせること

もなく機は着陸したようだったが、平穏であるのもここまでで、普通ならばす

ぐに始まる案内アナウンスがいつまでたっても沈黙したままである。



何事かあったのか、通常ならばトランジットで2時間以上も待ち時間がある時

などは空港内でシャワーのひとつも浴びることすら可能なのにどうやら今回は

搭乗機から1歩もでることができない雰囲気である。

そのまま閉じ込められ身動きできない状態が続いていた。


機内では手荷物置きのなかを潜望鏡のような手鏡を使ってしつこいくらいに何

度も調べ、しきりにチェックがはいっている。


さらにその上、機内清掃まで始まってしまい、ただでさえ狭い機内はもう朝の

通勤ラッシュ並に混雑した。


その雑踏ともいえる中で、辺りを見回してみると、先ほどまではおとな

しく座席に座っていてわからなかったが、少しくたびれた法衣のようなものを

まとった集団やら、頭にターバンを巻き付け、いったいどこが手荷物なんだと

思うほど大きな鳥駕籠の様な物を持ち込んでいるでっぷりと太ったインド人ら

しい男。

一見しただけでは国籍のよくわからないバックパッカー風の女と、いちいち怪

しさを疑えばきりのないほど多くの人間が入り交じっている。


ビジネスマンを満載して飛ぶどこかの国際線とは全く様子が違い不審な人物だ

らけである。

もっとも俺にはアジア系の外国人はみな怪しい風体にみえてしまうのではあるが。



香港に到着してから随分と時間が経ったように思えた。

日本であったなら何の説明もなく機内から一歩も出る事のできない様な待遇

には絶対に文句のひとつも言っているところだが、いかんせん相手が悪い。

いくらがんばって『なけなしの英語力』を駆使したところで、とうていあ

の氷の表情をしたスチュワーデスには対抗できそうもなく、ハードボイル

ドを自認する俺としてはしぶしぶと大人しく席に張り付いているしかなか

った。


世界のスーパハブであるこの空港には世界中からありとあらゆる人種が集

まってきている。きっと世界中を探してもこれほど煩雑に人々の出入りす

る空港はないのではないだろうか。


搭乗機に乗り合わせた雑多な顔を見ていると、俺の様な旅人には知り得ない

出来事が空港内では日々起こっているだろうことを想像させるには十分だった。


現地時間の夕暮れが始まろうとする頃になってようやく機は飛び立つことができた。

沈みゆく夕日を追いかけるように西へ飛び続けていく飛行機の窓枠に、しがみつく

ようにして香港に別れを告げたが、いつまでも黄昏(たそがれ)ている真っ赤な空

を見つめていると、まだ旅は始まったばかりだと言うのに、もうすでに心の中には

なぜか寂寞(せきばく)とした寂しさと疲労感がじわじわと押し寄せて来ていた。 

                  
                              デリー インド門



        2002/1/23


                            
                               『A QUeen of sky 』

香港をやっとの思いで飛び立ってからもうどれくらい時間がたったの

かわからなくなってきていた。

外の温度は零下何度くらいなのだろうか。

機内とはいえ底冷えする寒さと窮屈さに少々うんざりしはじめてどう

にもこうにも仕方なく通路を歩き回ることにした。

かちかちに凝った首筋をほぐそうとゆっくりと頭をまわしたその時、

通路際の窓から一瞬何かが見えたようだった。



遙かな高度を音速に近い速度で飛んでいるのだ、なにも見えるはずは

ないと思いながら真っ暗な窓の外を見ると、気のせいかと思えるほど

消え入りそうに瞬く灯りが見える。

大急ぎで窓にかじりつく様にしてじっと目を凝らしていると、だんだ

んと目が慣れてきたのだろう、なにもないと思っていた漆黒の天空の

中にいつのまにか星ぼしが現れ、はるか眼下には村でもあるのだろうか、

まるで消えかけの線香花火のように、小さく小さく瞬く灯りが見えていた。

どのあたりを飛んでいるのかは定かではなかったが経過時間からする

とどうやらインド大陸の端にたどりついたようである。

目的地デリーにつくまではまだ随分と距離があるにちがいなかったが

それでも遥か7000キロの距離をとうとうここまでやってきたのだとい

う思いが、チカリチカリと瞬く幻のような灯り

を見つめていると自然に湧き上がってきた。

高度を落としているのだろう真っ黒な山肌の稜線がかすかに判る。

飽くこともなく眺め続けていると、似たような点滅があちらこちらに

ぽつぽつと見えている。

同じ地球に住んでいると言うのに、この途方もない隔たりの中にいる

と自分がどこか違う世界から来た異邦人であるかのように思えてしまう。

満天の星空と漆黒の闇の間でかすかに見え隠れする郷愁をおびた灯りは、

遠い異世界への入り口を暗示し、その中にただ一人浮かんでいる

自分がいた。


夜の地球(衛星写真)





か細く瞬く灯かりは、たよりなげに点滅を続けていてそれは永遠に続いていくのではな

いかと思われた。 

夜の孤空の中を飛び続ける飛行機の中で、黒い夢の中で浮遊しているような感覚に襲われ

時間の感覚を失いそうになる程じっと窓から見続けていると、ちいさな点の数がだんだん

と増え、遠くには小さく光の塊が現れはじめていた。


果てしなく続く黒い山肌のそこだけが囲まれて輝いているさまは、暗黒の宇宙の中のまば

らに点在する銀河の様にも見える。

日本の大都会のきらめくばかりの輝きとは違うが、オレンジ色の優しげな輝きは、ある確

かさで存在感を主張しているようだった。

遠くにあった光の塊は少しずつ大きくなり、次第に膨らみを持ち始め光の帯びの様になっ

てきていた。

機体は小刻みに振動しながら下降を続けていたが、それは遙かな飛行の終わりを意味し

同時に疲れきった機体が震えている様にも感じられた。

低く唸る飛行音をうち破る警告音が鳴り、続けて到着のアナウンスが流れはじめると

眼下には煌めく(きらめく)ばかりの大都会デリーの夜景が迫ってきていた。


デリー。

人口は約1000万人をこえる。インドと言う国の首都といっていい。

王制がしかれ実権は大統領にある。

デリー自体は3000年の歴史をもつが、英国植民地時代の1911年に首都がカルカッタ

からデリーへ移され、市の南がニュー・デリーと呼ばれて公園のような街へと整備さ

れている。

大統領官邸からのびるラージ・パット通りの東端に第1次大戦の戦没者を慰霊する高さ

42メートルのインド門が1931年に建てられている。

特段の産業らしいものはなかったが、近年日本や韓国からの進出が著しく高度成長の始

まりを予見させていた。

近い将来ここから世界の未来がはじまるのかもしれなかった。

しかし、到着した空港は予備知識とは違い暗く陰湿な雰囲気をそこここに漂わせていた。

うらびれて寂れたような空気を辺りに漂わせているロビーに降り立つと、とうとうここ

までやってきたのだという感慨とは裏腹に、子供の頃に育った戦後まもない日本の荒れ

果てた地方都市を思い起こさせるような情景が目の前にあった。

品質の悪いむきだしのコンクリートで作られた建物を見ていると、豊かさの中にいるこ

とを自覚することすらできなくなっている自分の中に、遙か昔の古い町並みの臭いとで

もいうべき記憶が呼び覚まされていくのがわかった。


人波に押されるように出国ロビーを過ぎて、人々が山のように集まっているエリアまで

来ると、出迎えの人々全てが瞬きもせずにじっとこちらを見つめている錯覚に囚われ、

「くらり」と目眩(めまい)を覚えた瞬間、記憶の淵から何かが蘇った。

それは今と同じように見知らぬ町で親とはぐれ、ただひとりぼっちで泣きじゃくり立ち

つくす幼い自分だった。

                                       2002/3/2


多くの人々にまぎれて観光客達の出迎えの為の現地エージェントらしい雰囲気の者の姿

もちらほらと見え隠れする。

プラカードを胸に持つ者もいれば、なにも持たずにただうろうろと辺りを探し回ってい

る様子の者もいる。

だが、眼前に現れたのは異国の地での不安を振り払うには十分と言える精悍な男であっ

た。彼は簡単な挨拶をすませると、とりあえず空港をでるための手続きに再び人混みに

紛れていった。

「スバース」と名乗ったその男は、がっちりとした体格の焦げ茶色をした肌の色と、仕

事柄なのだろうか妙に人なつっこそうな眼をした温厚な顔つきの男性だった。

彼と出会えたことで空港に降り立った時の不安と興奮のないまぜになった気持ちも

少しは落ち着いてくると辺りを見回す余裕もでてきた。

現地時間では夜もおそいはずにもかかわらず最初に感じたよりもはるかにたくさんの人

々がそこにいた。

どの顔も瞬きもせずにのぞき込むかのようにこちらを観察している。

日本人の観光客は多いのだろう、あっという間に自分たちの周りに人だかりができてしまう。

荷物をもとうかとたずねる者もいれば、車はいらないかと近寄ってくる者、トイレに行くの

さえなにがしかのサービスがつくのだ。。。。もちろん有料で。

だが、ここインドではそれはごく普通のことであり、生きていくために自らが仕事を生

み出していくという彼らにとっては日常の常識だったのだ。

今の日本人がほとんど失ってしまった「なんとしても生き抜くのだ」という強い意志と

バイタリティがそこには溢れかえっていた。


途方もない労力と尋常でない根気を持ち合わせていたとしても、「Mr、スバース」が

いなければ、この「生きる」ということに卓越した人達を押し返しはねつけながら空港

を立ち去ることは不可能だっただろうに違いはないことは、容易に想像することができ

た。

                           2002/3/29


空港の建物を一歩外へでるとむせかえるような熱気とともに雑踏独特の騒音が押

し寄せてきた。

やたらとだだっぴろい広場のような場所には迎えの車がすでに待っていたが、そ

の周りにも同じように沢山の人々が何をするでもなく集まっているように見えた。

なま暖かい空気は妙に埃っぽく、乾いた剥(む)きだしの大地を剥(は)ぎ取るよ

うに吹く風が我々を出迎えてくれていた。

早々に迎えの車に乗り込み、いつまでもざわめき続ける喧噪の中を町へ向かって
走り出した。

白熱した眩しいばかりのヘッドライトを見慣れた俺にとっては、迎えの車のラ

イトは余りにも弱々しく、まるでセピア色を思わせる様な古びた感じの光が暗い

夜道を弱々しげに照らし出していた。

暗く街灯らしきものもない道にはまるで影のように黒々とそびえ立つ木々だけが

風に揺れていて、ヘッドライトの照らし出す部分だけを浮かび上がらせていた。

目が慣れてくるとリキシャやら歩いている人達が我々の進む道の端のあちらこち

らに見え始める。

同じように町へと向かう車も少しずつ増え始めている様子だった。

昔の日本でもよく使われていたのだが今ではトラックやバスにしか使われていな

いようなリーフサスペンションと呼ばれる鉄の板を何枚も重ね合わせて束ね、そ

れを緩衝装置にした、およそ人を乗せるには最も原始的な構造の車に揺られて飛

び跳ねんばかりの振動に身をゆだねて進む。

車の窓には自分の姿が映っていて、それを通して向こう側に見える暗い風景を見続

けていたのだが、突然に静寂な風景はうち破られた。

街灯や商店の灯りが眩(まぶ)しいほどの力強さで溢れかえる大きな通りへとさし

かかったのだ。

通りの両側には夏祭りの時の露天商のような店々がずっと遠くまでつらなり、あま

りにも唐突な活況を呈(てい)していた。

町中だというのに、そこには高さ5メートルもあろうかという大きな象が何頭も集

まっていて、その様な場所がまるで当たり前の様にあちらこちらに点在していた。


きれいに舗装された道路と冷たい光を放ち続ける水銀灯、どんな時間に行こうと必

ず開いているコンビニエンスストア。

そういった日本的なものに囲まれて生活している俺にとってはあまりにも衝撃的で

にわかには受け入れがたい光景が眼前に広がっていた。

そう、これがインドなのだ。

日本のおよそ9倍の国土と10億もの人口をかかえる国の中心点であるはずの首都

デリーでさえ人と動物が混ざりあって生きている風景を内在していた。

車やリクシャが増え始め、洪水の様に流れはじめていく中を、激しくクラクションを

鳴らし、抜きつ抜かれつを繰り返しながら我々の車も走り続けている。

言葉では言い表すことのできない光景のただ中で、抗(あら)がうことのできない

異境の地の洗礼をうけていると、再びアジア大陸の上空で遭遇(そうぐう)したあ

の浮遊感覚が蘇(よみがえ)ってきていた。


そう、本当の旅は今始まったのだ。

 2002/5/1